2019年1月22日火曜日

選ぶことは、捨てること




一つの道を目指すということ


それは、強すぎるから恐ろし。
誰しも道を選べず、選ぶことは時に強すぎて意思がありすぎる。

選ぶこととは、それ以外の選択肢の何かを求めることをやめるということ。

人の出会いも同じことで、気があう合わないというのは、似ている所がある。

しかしながら、それでも人を求めどういう形であってもコミュニケーションを求めるのが人間の性であると、それを人性と思うし、現代に生まれた人である限りなくならないと思う。


選ぶことは、捨てるということ。
それでもなお進もうとする人は、時に異常に魅力的で、恐ろしいものである。

思想は人を強くするし、人のことも魅了する。なくなるべきだとつくづく思う。思想など。

それでも、人が誰かを魅了するような言葉を言ってしまうのは性なのだろうかと、悩みながら生きる今日である。それが、生の中での興味だと。

2017年1月4日水曜日

都市

最近、都市と言う言葉に常に向き合う。

そして毎日街に入り込んでいる、それがリアルな場所でもartficialな狭い空間の中でさえ。
全てが、一人ひとりが、全ての人の手を介したものが一つになっている一つの世界。




2016年1月25日月曜日

信じること、変わること





















何か一つを信じるということは、その一つ以外のものを信じなくなることかもしれない。

そして時が経つにつれて、信じているものそれ自体の中身が変化しているにも関わらず、信じると決断した時の在り方をそれ自体に強要してしまう。

それが人であれ、ものであれ、思想であれ、信じると決断した時のまま思い描き、それらを時の流れから切り離してしまう。

人が決断した時、その力は大きい。
目に見えようが見えまいが、周りの作用を変えていく。
地球上の人々が次々と決断をしていく中で、信じるものを決めていく中で、その一人ひとりの決断によって時代は常に変わっていく。

そして、信じることによって決断した彼らは、いつしか決断しない者、変わろうとしないものを咎めるようになる。

決断した者は構造の中で努力をし、強者として生きる。そして弱者と強者の構造だけが残る。
弱者と言われた者を守るためだった決断さえも、弱者に変化を強要する行為に移り変わってしまう。

信じていたものも、何か一つを信じている自分自身も、常に移り変わっているはずなのに、変わっていないと思い続けてしまう。


社会における価値観を変えることは、本気で「変えよう」という強い意志と決断がなくては誰の心も行動も動かせないのだと思う。だけど、その時何かを見失うんじゃないかな。




こんなことを、去年の日記に書き綴っていた。パリのテロ襲撃の後くらいに。
やっぱり今でも、人は決断したときが一番強いと思っている。
だけどあまりにも大きな社会的な衝撃が走ると、決断よりも先に大きなものに飲まれてしまう、とは思う。







2015年9月24日木曜日

ひとり











誰のことも独りにしない、それを理想じゃなく自分のこととして感じながら生きていきたいと思う。

学生ではなくなることを、たくさんの人が社会というものを強い言葉で念をおしながら話してくれる。

でも、私はずっとこの社会で共に生きてきたつもりなんだけどな、と思う。

それが甘い考えでも、どんな社会だとしても。

2015年6月20日土曜日

世界難民の日



衝撃は無意識に残るけれども、思いやりや善意、想像力はどうしても意識的なことを重ねていかないと私達の行動基準まで残ってはいかない。

テロや人質、殺害、様々な映像や鮮やかに可視化されたものが蔓延しているこの現代において、私達の無意識の中には本来知り得ないものに対する否定的なイメージが瞬時植え付けられていく。


日本で生まれ、日本で育ってきた私はたくさんの音楽と情報を日本の中で浴びてきて、中学生あたりのころから漠然と世界に、日本の外に想いを馳せていた。ここで音楽は本当にたくさんのことを教えてくれた。何でロックは社会の中にいる自分自身を嘆くのか、音で表現する人達は何故世界の貧困やエイズ、難民問題に関心をもってそれらを奏でるのか。そこに私のやるべきことがある、私はそこで何かをするんだと、自分の近くではない遠くにただ自分の何かを求めて、「助けが必要な誰か」を頭でイメージしていた。


そんな中、私がまた行きついた現実は日本の中に難民がいること、難民になることを希望して日本に来たはずなのに日本の入国管理センターに収容されている人達がいること。そしてその大きな入国管理センターが私の地元にあるということ。

私の中でその事実全てが衝撃となって無意識の中に入っていった。その全ては負のイメージだった。思いやりでも善意でもなく、そのような事実が私の認識する世界の中にあることが許せなかったのかもしれない。


実際に難民の人やその家族との関わりが深まるにつれ、彼らは私が持っていた衝撃的な事実の一部なんかじゃなくて、ただただ私と同じ一人ひとりの人間だと思わずにはいられなかった。

私達と同じように何かから衝撃を受けたり、感動したり、勉強したり、恋をしたり、生活を営み、生きている。

ただ一点、私達と違うところは、私達が想像もできないような追われる恐怖、武力や制圧の中で生きてきた体験。でもだからといって、私達と彼らの生きる今の価値が違うわけではない。




今でも、善意や思いやり、そして自分以外の他者に想いをはせる想像力を、どうやったらみんなが持つことができるのか、留学して環境を変えて色々なことを考えてみたけれども、今でもどうすればいいのかわかってはいない。

だけど、そんな誰かの為に何か行動として自分の人生に織り込んでいくことを、衝撃的なものとして返還することができるのなら、忘れることができないような、あの残虐非道な映像や震えるようなニュースを超えるくらいの優しさの衝撃を人の中に入りこませていくことができるのなら、もっと誰もが行動の中に優しさを含ませることができて、もっともっと誰もが生きやすくなるんじゃないかって本気で思っている。




6月20日世界難民の日というものがあって、その日に、その日じゃなくても優しさや世界中の問題やそこで生きる人々に想いをよせる想像力をを様々な形で広げようとしている人達がたくさんいる。災害も、戦争も、恐怖、孤独、諦めや絶望も、一人ひとりの中に溢れているけども、それと同じくらい私達は喜ぶことも、幸せを見出すこともできる。


私は本当に幸せ者で、同じように気持ちや目標を共有できる人達に囲まれている。それは日本に帰っても、世界のどこにいても。留学して、このことを強く確信できた。

多分これが留学中最後のブログになるかな。もうすぐ帰国です。


音楽:音沙汰/SUPER GOOD

2015年4月3日金曜日

夢の話












私、よく夢を見るし、それをすごく覚えているんです。
「あー今これ夢だわ、もっと無茶して泳ごう。」なんてのもある。

去年の春あたりに、夢の中で崖と太陽と水平線を見たんですよ。
夢って普通ぼやあぁぁっ....ってしてるじゃない?でも、その時ははっきり、くっきりと鮮明に、目を見開いてすぐ傍で見ているようで。



よく神話やら宗教の話で夢でお告げを聞いたってのがあるけど、
なんだかすごく気持ちが理解できる気がする。
あんなにはっきり鮮明に見たら、そりゃ何もせずにはいられないわ!
しかもそれで信じている神様とかに何か言われたらそりゃもう、伝道するわ!!



とは言え、私は信仰などとは関係なくいつも夢をただ楽しんでいるだけなんですが、
この時ばかりは夢のことが忘れられなく、もう一度同じ光景が見たい一心で、夢に似た写真を探しまくってました。

で、見つけたんです。それがポルトガルでした。


ポルトガル南部でユーラシア大陸西南端のサグレスという土地の、崖の写真を見つけてしまいました。そんな理由でポルトガルを目指し、行って思ったことは一つ。




夢よりも美しいものが現実にはある。




夢で見た光景とは全く違いました。全然違う景色でした。

波の音、潮風、そして水平線と崖の圧倒的な存在を目の前にして、夢なんていう個人的なものなんかとは比べものにならないくらい美しいものがそこにはありました。

あの美しすぎる夢は、「夢ばっか見てんじゃないよ、現実でもっといい場所探してこいや。」というお告げだったのかなって感じてます。美しいものを見せつけて行動を促すというオラオラなお告げ。

後から知ったのですが、サグレスは沢木耕太郎「深夜特急」での旅の最終地点として知る人ぞ知る場所らしいです。ここが私にとっても何かの区切りだったのかも。





ポルトガルにいた期間は、いつもみたいにゴネゴネ考えながら動く頭でっかちになる旅とは違い、
ひたすら周りの環境に心を開いていた気がする。




なんでもいいしどこにいてもいいから、もっともっと生きていきたいな。







〈写真〉
1: Cabo da Roca, Lisbon(ロカ岬)
2.3: Porto
4: Sagres