Sea Within a Sea-The Horrors
http://www.myspace.com/thehorrors
いいねえ、ホラーズ。
myspaceで住所を茨城県で登録しているから、ページ脇のDemand it!の所にいつも、「Bring The Horrors to Mito, Japan!」てな感じでアーティストごとに表示されるんだけど、水戸に来てくれることってあるのかな…あの、水戸じゃなくていい、東京で大丈夫です(笑)
あれってどれだけの人がDemandすれば来てくれるんだろう。
というか、相当な数が集まればその土地に注目してくれるかもしれないってことかな。
そもそもmyspaceの認知が低いだろうから、やっぱりあまり効力ないのかな。
はい。ただ動画を貼り付けたいが為の前置きはここまで。
さて、ちょっと前になりますが、12月1日はエイズデーでしたね。
「1988年、WHO(世界保健機関)が12月1日を“World AIDS Day”(世界エイズデー)と定め、エイズに関する啓発活動等の実施を提唱しました。その後1996年からUNAIDS(国連合同エイズ計画)もこの活動を継承しています。日本でもその趣旨に賛同し、エイズに関する正しい知識等についての啓発活動を推進し、エイズまん延防止及び患者・感染者に対する差別・偏見の解消等を図ることを目的として、12月1日を中心に「世界エイズデー」を実施しています。」
(API-NETエイズ予防情報ネットより)http://api-net.jfap.or.jp/event/HivInsWeek/special2012/WorldAidsDay2012.html
2007年、中3の時、「世界エイズデー」を知って、ある問題や差別に対する「啓発」という概念に、私は初めてまともに興味を持ったのだと思う。
その時は、深刻な問題なのは分かるんだけど、知ったからといって自分が何をできるのか分からないし、「治療薬が開発されるといいな、治ると分かれば誰も苦しまないのに」と単純に思っていた。
でもやっぱり、今になっても感染予防や発症予防はできても治すことはできない。
そこで「伝える」、啓発活動なのか。
エイズの問題は幅広い。私自身知識は多くないから、エイズそのものについては詳しく書けないけど、「啓発」ということに焦点をあてて考えてみたとしても、感染者に対する差別、感染予防、エイズ孤児など世界各地で、そして日本国内でも、「伝える」ものとなる事項はたくさんあると思う。
今までを振り返って、強く頭に残っていることがある。
2年前、私が高校3年の時に迎えたエイズデー。
高校内で、エイズ啓発運動で代表的な「レッドリボン」(といっても赤いリボンをくるっとまいて、中央をホチキスでとめたもの)が配られた。今でも配られるのかな?中高時代は毎年配られてた気がする。
普段生徒間でエイズの話をすることはほぼないが、その日は、私と一人のクラスメイトとで自然とエイズの話になった。
「エイズって空気感染?」
その子が真顔でそう言った。私は何て答えればいいのか一瞬黙ってしまった。当時の私は、じわじわと自分の中でなんともいえない感情がこみ上げてきた。
「そんなわけないじゃん。小中学校の授業で言われてるようなことじゃないの?あんたみたいな全く関心も理解もない人達がいるから、感染者への差別はなくならないし、エイズが深刻な社会問題になっていくんだろが!!!!!」
単純に私はそう思った。だけど「空気感染はしないよ」その一言しか言えなかった。
(ちなみに、エイズ感染経路についてはこちらに詳しくのってますhttp://api-net.jfap.or.jp/knowledge/index.html)
その子が、本当はどういう意図を持ってその言葉を言ったのかはわからない。
まあ、その子は純粋な疑問を口にしただけなのかもしれないし、差別とかあまり深い意味はなかったのだと思う。その子だけじゃなくて、同じようなことを思っている人はきっとたくさんいると思う。
当時の私が正しい!だとかを言いたいわけではなく、この事をきっかけに「伝える」ことについて、色々と考えるようになった。
ひとつめには、その子にどう伝えればよかったの?非難?説得?熱弁?
ふたつめには、どうして私はこの問題をその子に理解してほしいと思ったの?エイズを身近に感じたことがない私が、どうして、誤った認識が広がることを防ぎたいと思ったの?
エイズの問題に限らず、政府や国連ではなく私達一般人が「伝える」ことに関して。
誰に、何を目的として、明確かつ冷静に伝えることができなければ、心で受け止めてくれる人は少なくなる。
おそらく、みんなで声をあげることで、社会に変化は生まれる。
その中で、本当に深く問題に向き合い、伝えようとしている自分がその問題とどう結びついているのか、それらを考えた上で「伝える」為の行動に移している人もたくさんいると思う。
ただ「これを周りに知ってもらうため」と、不明確な目的を掲げて声を上げるだけでは、その目的達成のためが故に、見落とされてしまう人が出てくるかもしれない。
啓発活動のされ方によっては、最も困難な状態にある人達自身が声をあげられない社会をつくってしまったり、誤った認識を世間に植え付けてしまう可能性もある。
無関心が一番恐ろしい、そのようなことをよく聞くけど、本当に無関心だけが凶器なのだろうか。今は誰もがどこでも意見を発することができる。ちょっとネット上で呟いただけで、自分の予想していないところで、誰かに影響を与えているかもしれない。伝える側も、伝えた先に何があるのか、何を見落としてしまう可能性があるのか、考えた上での「想い」を持って伝えていかなくちゃいけないんじゃないかな、と。
「伝える」ことによる成果は見えにくいから、「伝える」側も自分達にとって分かりやすい、満足しやすい目標を定めてしまう時もある。
だけど、正しい理解認識の下で、大きな賛否両論含む議論を巻き起こすことが、「啓発」する上での最終目標なのではないかと。
今、高校3年のあの日、エイズデーに戻ってもう一度あの子と話せるとしたら何て答えようか。今でも分からない。
冷静な頭で、温かな心で「伝える」ことができる組織あるいは個人になるためにはどうすればいいのか、答えはでないかもしれないけど、これからも模索していきたい。
ただロジカルでも、ただ熱いだけでも、だめなんだと思う。
実践するのは難しいけど、まずはやってみなくちゃね。
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…高校の時の自分、性格あまりよくないな笑
なんだか切なくなってしまったので最後は、ビートルズで
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