2015年9月24日木曜日

ひとり











誰のことも独りにしない、それを理想じゃなく自分のこととして感じながら生きていきたいと思う。

学生ではなくなることを、たくさんの人が社会というものを強い言葉で念をおしながら話してくれる。

でも、私はずっとこの社会で共に生きてきたつもりなんだけどな、と思う。

それが甘い考えでも、どんな社会だとしても。

2015年6月20日土曜日

世界難民の日



衝撃は無意識に残るけれども、思いやりや善意、想像力はどうしても意識的なことを重ねていかないと私達の行動基準まで残ってはいかない。

テロや人質、殺害、様々な映像や鮮やかに可視化されたものが蔓延しているこの現代において、私達の無意識の中には本来知り得ないものに対する否定的なイメージが瞬時植え付けられていく。


日本で生まれ、日本で育ってきた私はたくさんの音楽と情報を日本の中で浴びてきて、中学生あたりのころから漠然と世界に、日本の外に想いを馳せていた。ここで音楽は本当にたくさんのことを教えてくれた。何でロックは社会の中にいる自分自身を嘆くのか、音で表現する人達は何故世界の貧困やエイズ、難民問題に関心をもってそれらを奏でるのか。そこに私のやるべきことがある、私はそこで何かをするんだと、自分の近くではない遠くにただ自分の何かを求めて、「助けが必要な誰か」を頭でイメージしていた。


そんな中、私がまた行きついた現実は日本の中に難民がいること、難民になることを希望して日本に来たはずなのに日本の入国管理センターに収容されている人達がいること。そしてその大きな入国管理センターが私の地元にあるということ。

私の中でその事実全てが衝撃となって無意識の中に入っていった。その全ては負のイメージだった。思いやりでも善意でもなく、そのような事実が私の認識する世界の中にあることが許せなかったのかもしれない。


実際に難民の人やその家族との関わりが深まるにつれ、彼らは私が持っていた衝撃的な事実の一部なんかじゃなくて、ただただ私と同じ一人ひとりの人間だと思わずにはいられなかった。

私達と同じように何かから衝撃を受けたり、感動したり、勉強したり、恋をしたり、生活を営み、生きている。

ただ一点、私達と違うところは、私達が想像もできないような追われる恐怖、武力や制圧の中で生きてきた体験。でもだからといって、私達と彼らの生きる今の価値が違うわけではない。




今でも、善意や思いやり、そして自分以外の他者に想いをはせる想像力を、どうやったらみんなが持つことができるのか、留学して環境を変えて色々なことを考えてみたけれども、今でもどうすればいいのかわかってはいない。

だけど、そんな誰かの為に何か行動として自分の人生に織り込んでいくことを、衝撃的なものとして返還することができるのなら、忘れることができないような、あの残虐非道な映像や震えるようなニュースを超えるくらいの優しさの衝撃を人の中に入りこませていくことができるのなら、もっと誰もが行動の中に優しさを含ませることができて、もっともっと誰もが生きやすくなるんじゃないかって本気で思っている。




6月20日世界難民の日というものがあって、その日に、その日じゃなくても優しさや世界中の問題やそこで生きる人々に想いをよせる想像力をを様々な形で広げようとしている人達がたくさんいる。災害も、戦争も、恐怖、孤独、諦めや絶望も、一人ひとりの中に溢れているけども、それと同じくらい私達は喜ぶことも、幸せを見出すこともできる。


私は本当に幸せ者で、同じように気持ちや目標を共有できる人達に囲まれている。それは日本に帰っても、世界のどこにいても。留学して、このことを強く確信できた。

多分これが留学中最後のブログになるかな。もうすぐ帰国です。


音楽:音沙汰/SUPER GOOD

2015年4月3日金曜日

夢の話












私、よく夢を見るし、それをすごく覚えているんです。
「あー今これ夢だわ、もっと無茶して泳ごう。」なんてのもある。

去年の春あたりに、夢の中で崖と太陽と水平線を見たんですよ。
夢って普通ぼやあぁぁっ....ってしてるじゃない?でも、その時ははっきり、くっきりと鮮明に、目を見開いてすぐ傍で見ているようで。



よく神話やら宗教の話で夢でお告げを聞いたってのがあるけど、
なんだかすごく気持ちが理解できる気がする。
あんなにはっきり鮮明に見たら、そりゃ何もせずにはいられないわ!
しかもそれで信じている神様とかに何か言われたらそりゃもう、伝道するわ!!



とは言え、私は信仰などとは関係なくいつも夢をただ楽しんでいるだけなんですが、
この時ばかりは夢のことが忘れられなく、もう一度同じ光景が見たい一心で、夢に似た写真を探しまくってました。

で、見つけたんです。それがポルトガルでした。


ポルトガル南部でユーラシア大陸西南端のサグレスという土地の、崖の写真を見つけてしまいました。そんな理由でポルトガルを目指し、行って思ったことは一つ。




夢よりも美しいものが現実にはある。




夢で見た光景とは全く違いました。全然違う景色でした。

波の音、潮風、そして水平線と崖の圧倒的な存在を目の前にして、夢なんていう個人的なものなんかとは比べものにならないくらい美しいものがそこにはありました。

あの美しすぎる夢は、「夢ばっか見てんじゃないよ、現実でもっといい場所探してこいや。」というお告げだったのかなって感じてます。美しいものを見せつけて行動を促すというオラオラなお告げ。

後から知ったのですが、サグレスは沢木耕太郎「深夜特急」での旅の最終地点として知る人ぞ知る場所らしいです。ここが私にとっても何かの区切りだったのかも。





ポルトガルにいた期間は、いつもみたいにゴネゴネ考えながら動く頭でっかちになる旅とは違い、
ひたすら周りの環境に心を開いていた気がする。




なんでもいいしどこにいてもいいから、もっともっと生きていきたいな。







〈写真〉
1: Cabo da Roca, Lisbon(ロカ岬)
2.3: Porto
4: Sagres


2015年3月15日日曜日

飲みニケーション





ZAZEN BOYS - HARD LIQUOR





私は酒癖が悪い。



年に1、2回程はとんでもなく周りの人にお世話になっている(迷惑をかけている)。


飲むとすぐ酔ってしまって動けない、というタイプではなく、周りが飲んでいようといまいとひたすら飲みまくって騒ぐ。ここまでならいいんだろうけど、誰がどう見ても「これはやばいな」という状態まで行くことがたまにある。本当にどうしようもないくらい面倒くさいタイプだと思う。




まあ私の酒癖はともかく、お酒にまつわる経験から感じることはたくさんありまして。


全く飲まない人も、嗜む程度に飲む人も、浴びるように飲む人もいる。みんなそれぞれの楽しみかたがあっていいと思うんだけど、それぞれのタイプ同士で否定しあっているような気がしてならない。それが嫌でして。



ということで、まずは簡単な分類から。主に学生の飲み方で、科学的分析ではなく完全な経験則です。




レベル1:「ご飯を一緒に食べよう」感覚の飲み方

美味しいものの一つとしてお酒を捉える飲み方。今はファミレスでもカフェでもお酒のメニューがあって、飲みたい人は気軽に頼めるし、「ご飯一緒に食べる」の一部であり「酔う」という感覚ではない。誰とでも気軽にできるお酒の飲み方だし、飲みたくなければ飲まなくてもOK。




レベル2:「飲みに行こう」から始まる飲み方

お酒をきっかけにした交流方法。成人すると多くの人が使うセリフ。少人数2~5人くらいだと気軽に自分のペースで飲める。仲良くなりかけのタイミングで使われることが多い。場が緊張し合っている状態でもお酒で緩めることができるが、人数が多くなりすぎるとお互いの話をすることができずなあなあで終わってしまう場合も。しかし仲良くなってみたい、もっと知りたいという気持ちが前提にある。

(例:ゼミや授業メンバーでの飲み会)



レベル3:「飲み行こう!」で更に友情を深める飲み方

もともと仲の良い人同士でお酒を交わしながら話すことでリラックスした状態で話すことができる。ご飯だけではなく、お酒によって更に気持ちを緩めることによって普段だったら話さないような愚痴や夢などを語ることもあり日常と非日常の間のような時間。



レベル4:「飲むことが目的」の飲み方

会話はほぼなし。飲んで酔って騒ぐことが目的。普段の生活では見ることのできないような一面を見ることができるので、ほぼ非日常の世界。仲良くなる前であっても、ある一線を越えたお互いの姿を見ることで連帯感が生まれる。つまり、お酒によって共通経験を創り出すことによって独自の共通言語が生まれる。友人を自然につくることが苦手な性格であっても、このような飲み方に適応することによって交友関係をつくることができる。

(例:飲み会を主としたサークル(飲みサー))







学生同士であっても、飲み方で人の中身を決めつけてしまって交流が閉ざされてしまっていることもある(特にレベル4)。不器用な人も、おもしろい人も、普段とても真面目だからこそレべル4のように飲む人もいて、お酒を飲んでいない時でもみんな素敵な内面を持っていると思う。




私はまだ学生目線でしか飲み方を知らないので、会社に属した場合だからこその飲みにケーションやお酒との付き合い方がどのようなものなのかとても興味があるのです。


飲みニケーションといえば、日本社会の習慣として悪い面も指摘される。強制的に飲みにいかなきゃいけないのか、自分の時間や家族との時間に支障が出る。上下関係の延長、等々。



でもね、飲んでる状態じゃないとちょっとした本音を言えない人なんてたくさんいる。逆に、飲んでなくてもしっかり意見をまとめて言えて、お酒を使って仕事の話をする必要なんてない人だっている。
もしかしたら、今の日本社会は前者が、話すための口実として「飲むのも仕事のうち」といって強制的な飲み会にしてしまったのかもしれない。


飲まないと言えないことがあること自体、普段から嫌なことや本当は言いたいけど言いにくいことを常に周りと共有できないことが私は問題だと思う。だけど、中々この状態っていうのは変わっていけないとも思う。
だからこそお酒の場というのはうまく使っていく必要があるし、もっともっと多様化していけばいいんじゃないかな。




私は声を大にして言いたい!「あの人はすぐに飲みに行きたがる」とか、「あいつ全然飲まないから」、「飲み会に来るけど全然あいつ盛り上がらないよね」なんてお酒でお互いを区別するのはやめようじゃないか!
「飲む」とうい言葉が先行して、「この人と飲むの?」又は「お酒はいいや」と考えるのではなくて、何でその人がそう言ったのかちょっと想像してみるとその人のことを知るきっかけになるかもしれない。もっと好きになれるかもしれないじゃないか。





とは言え、人に迷惑をかけるような飲み方はしてはいけないと思ってるので、その反省の意を込めた本日のブログでした。


こんなこと言っているけど、やっぱりまたしてしまいそう。そんな時は、「ああ、こいつ安心してんだな」って暖かい目で見てやってください。そうなんです、安心しきって大好きな人と一緒にいるって時にしか泥酔しません。私なりの不器用な愛情表現です。




終わり。


2015年2月20日金曜日

正直な街






ベルリンに数日間行ってきた。

ベルリン大聖堂、いくら近くで見ても実物の建物なのか信じられないくらい、それ自体が絵画のような不思議な存在。

立派な建物も廃墟も、壁のグラフィティも工事過程も人も何もかもがそこにあって、本来の意味や正直な感情が全部「イケてる」感じで盛り込まれた街、それがベルリンなのかなって。
着いた初日からビシビシしびれる滞在だった。


それに、ベルリン滞在中に日本から来た大切な友達と会うことができて楽しくて仕方ない時間を過ごした。大切な人に会って楽しい、その感情をまた思い返すだけで今度は嬉しくなる。

嬉しいこと、楽しいこと、伝えたくてどうしようもないことが正直に溢れ出ている人になれてるかなって、ベルリンから帰ってきてからそんなことを思いながら書いています。



今は会って話すことができない日本にいる大切で大好きな人たちへ、伝わってますか?
こんなちょっと恥ずかしいような言葉も、今は堂々と言いたい。

そんなことを思いつつ留学も残り5カ月を切りました。はやい。





2015年2月2日月曜日

Smile. Tomorrow will be worse.


























ビールがあったら飲む。ワインがあったら飲む。ウイスキーがあったら飲む。日本酒があったら日本アピールして飲む。音を聞いたら動く。好きだったら好きって言う。
それがいまこの生きている瞬間だし、それが全て。



「笑いなって。明日はもっと悪い日だから。」
"Smile.Tomorrow will be worse. "
マーフィーの法則より



2015年1月13日火曜日

叫び






Otep / Warhead


人はどうして叫ぶのだろう。何のために叫ぶのだろう。


アイドルを見た時の黄色い声や地鳴りのような声、あれきっと出ちゃうんだよね。
デスヴォイスで叫ぶヴォーカル、叫んで言葉以上に伝えようとしている。
酔っぱらって声がどんどん大きくなって終いには、素で何かを言いたくなって声を出し切っている。
ライブで曲が始まったり終わる瞬間、もう、これも出ちゃうんだろうね。
デモ行進するときの声、主張をすればするほど大きくなる。
何かを決意した時、自分の終わりを知ったとき、叫んで感情を出し切ってから行動したり。




人間の一番見えないところを聞いているみたいで、聞いているだけで震える。


きっとみんな普段の生活では出さない、出す必要もないし、出しても変な目でみられてしまう。

逆に叫ぶとき、それは普段の生活ではないし、出す必要があって、変な目で見られても構わない時。




もっと、叫んでもいい、叫んだら誰かがあたたかい目で振り向いてくれるような世界だったらどうだろう。そうすれば誰も叫ぶほど苦しくなったり、喜びも悲しみも感情を叫び、そこにだけに押し込まなくてもいいのに。


叫ぶ時には準備なんて誰もしていない、もうどうしもようもなくなって叫んでいる。
もっと柔らかく暖かく普段から、叫びと同じくらいの感情を出せる世界はどんなところだろう。
そこは全然冷たい世界じゃない気がする。


画面越しにいる人ではなくて、もっと近くの人に普段から好きと言えていたなら。
口ずさんだ曲を隣にいる人も歌ってくれたなら。
素敵な音楽を聴いたときにその気持ちを聞いてくれる人が、
ちょっとした冗談でも悩みでも、笑って聞いてくれるひとが、
社会の中でおかしいと思ったことを、一緒に考えてくれる人が、
傷付いて辛くてどうしようもない時に話しをきいてくれる人が、傍にいたなら。




本当はもっと、もっと時代の中の人の感情は軽くて柔らかくて、構造なんて後からついてきたもの。

なのに、構造に押し込まれて感情が極限まで達しないと出せないなんて、なんて冷たい世界だろう。その叫びの間に何があったのか見ようとしないなんて、なんて想像力のない世界だろう。


2015年1月8日木曜日

怒りの矛先



http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150108/k10014527301000.html


「仏全体への攻撃だ」


そう言えるのかもしれない。フランスが大切にする民主主義や自由表現への対抗と言えるのかもしれない。

しかし、その攻撃の抗議としての対象が、フランスやヨーロッパに住むイスラム教の人達にならないように願う。



極右政党フランス国民戦線は、テロリストや殺人犯に対する死刑の復活を求める他、移民の排斥を主な主張している。フランスに限ったことではないが、このような極右政党は西欧で力を伸ばしていて、オランダ・スウェーデン・スイス・イタリアでは国内、欧州議会で議席を伸ばしている。


昨日今日でフランス国内で市民のデモが盛んに行われているようだが、一時的な熱のように可視化されなくとも、今後選挙における国民の極右政党への支持は水面下で伸びていく可能性は上がっていくかもしれない。


テロリストとイスラム系移民は直接的に結び付けて認識されるべきものではない。


#JeSuisCharlie このハッシュタグでtwitterを見ていると、様々な呟きが次から次へと流れてくる。

「表現の自由を支持する」「こんな風刺画を描くべきではない」


そして




「この事件について謝りたい。なぜなら私はイスラム教だから」


これだけに限らず、#NotInMyName のハッシュタグを付け、イスラム教の名のもとで今回のテロを批判する声がたくさんあがっている。

2週間前に私が訪れたあの大好きな場所パリに想いを寄せながらも、私は何もできないことを知ったし、今、パリに、そして西欧、世界に生きるイスラム教の人々が恨まれ排斥されないように。そしてその感情がまたどこかで誰かを苦しめないように。そう願っている。



今何もできない自分を悲観せず、するべき時に冷静に行動できる人間になりたいと思う。



2015年1月1日木曜日

工事中









ドイツ、デュッセンドルフ。


ここは、国際的な商業の中心でもあり街を歩いているとオフィスがたくさん並んでいる。しかし住宅街や旧市街、自然、川もたくさんあり東京23区をぎゅっと小さくしたような街のように見える。そして現代美術で著名な街。ヨーゼフボイスの出身校でもある国際芸術アカデミーもある。

現代芸術に焦点をあてた美術館がたくさんあった。インスタレーションを中心として、その場所にその時に行かなければ感じることのできないような表現をたくさん感じることができた。




デュッセンドルフ街中はたくさんの工事中の過程が見えた。
日本では年末に公共事業としての工事が増えるなんて噂もあるけれど、デュッセンドルフがどうなのかは分からない。むしろ工事中のものが年末休暇で止まっているようだった。


ゆっくりすぎて見えなくても、建物も人もこの世にあるものはみな変化している。完成したと誰かが言っても、その瞬間から新しい空気にさらされ、いくつもの季節を、時代を過ごしていく。工事中の建物は、見えないその変化をよく気づかせてくれる。現代美術のインスタレーションのように、アーティストの手を離れ展示された瞬間から、人が訪れる瞬間ごとに変わっていくことを予め認めたような表現が好きだ。




完璧なんていうものは芸術にも、人の人生にも、客観的に見たらどんなものにも存在しない。人の気持ちの中で完璧だと思ったものだけが完璧であり、そう思わなくなったらもうその気持ちの中にも完璧は存在しない。





西欧でいう「苦情をしっかりいう」ことが重要。と、本当にそうなのかとずっと疑問を持ちながら過ごしていた。ちょっとしたことで自分から謝って、引き下がってはいけないと。


美術館の中で荷物を預けようとしたら壊れたロッカーにお金を入れてしまい、「このロッカー使えないんですけど、お金返ってきます?」と言うと、自分でしっかり確認してから使わなきゃ!で、どの番号なの!?!?!?みたいなかんじでものすっごい勢いで怒られたんだけど、とっさに荷物を出してしまって自分でもどの番号だかわからなくなってしまった。しかも壊れたロッカーだらけだったもので。「どの番号だか分かんなきゃ出せないのよ!ホラホラどれよ!?」と、ロッカーバンバン開けたり閉めたりしながら言われビビりまくる私。

言い返す度胸もないので「もういいです私のせいなんでごめんなさい」とそそくさとお金は諦めて出て行ったのだが、結局大きい荷物は預けなきゃいけないからもう一回そこに行かなきゃいけなかった(笑)どうしてもロッカーの使い方分からないし壊れたロッカーばっかりだし、私に怒った人にもう一度「どうやってこのロッカー使うんですか、、、、、?」とショボショボしぶしぶ聞いたら、「ほらさっきのお金!はい!」って渡してくれました。何だ物凄く優しい、、?私のほうが申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。


苦情や文句を言うことよりも、しっかり自分の状況を伝えてお互いでどうするか決めるということが重要なのかもしれないと感じた。苦情という言い方は正しくないかもしれない。
次はしっかりロッカーが壊れていないかどうか確認しよう。いやでもあそこのロッカーの半分くらいは壊れていたように思えたが、、。



壊れたものも、決められたことも全て認めた上で使う者管理する者同士がお互いに問題を共有し合ったうえで話し合うことが大切なんだと感じたし、それは西欧に限らずどこだって一緒だと思う。ルールだってなんだって結局そうやって人が加わって常に臨機応変に使われていく。



決められた未来も、過去もない。ただそこに今の自分自身があるだけで、その自分自身も誰かに、何かに影響されながら常に移り変わっている。そんなことを感じた小さな旅だった。